不惑のようなもの
「不惑」...四十にして惑わず。人は 40 歳になれば道理を知って迷わない。
<「論語」為政>
40 歳を迎えるにあたり、好きなアーティストの歌詞で昔知った”不惑”という言葉を思い出した。私は惑うことのない 40 代を迎えられるのだろうか。
2024.11
「不惑」...四十にして惑わず。人は 40 歳になれば道理を知って迷わない。
<「論語」為政>
40 歳を迎えるにあたり、好きなアーティストの歌詞で昔知った”不惑”という言葉を思い出した。私は惑うことのない 40 代を迎えられるのだろうか。
2024.11
01
カメラで日常を切り取るなんて私には向いていない。
私の日常はきらきらしていなくて撮るに値しない。
それはわかっていたけれど、30 代を終える私にどんな変化が起こるのかを知りたくて、自分を観察するため、40 歳の誕生日の少し前から少し後まで、とにかく写真を撮り続けた。
02
20代の頃、40歳で死ぬのだと思っていた。特に根拠もなく悲観的なわけでもなかった。
生きている定義が呼吸をしていることや心臓が動いていることならば、私にとってただ長く生きることには価値がないと思っていたからだ。
別に毎日が死ぬほど辛いわけではなかったけれど、幸せと思える時間はいつも一瞬で消えてしまい、それゆえに生きづらかった。
03
40歳を迎えるべきなのか?目前に控えて改めて考えていた。
最近までそれなりに楽しい予定で忙しくしていた。それが今は何もない。
じゃあ何のために生きている?
たった今未来に楽しみがないことにも何か意味があるのかもしれない。
消えるなら今だと全ての人や事が示し合わせているのだろうか。
私は流れに身を任せるべきなのか、あらがうべきなのか、どうすればいい?
04
そうしているうちにあっけなく誕生日を迎えた。
こんな私にも15人の人たちが誕生日おめでとうとメッセージをくれた。
多くはないかもしれないけれど、この人たちはずっと大切にしようと思った。
05
生活習慣を変えたら、自分がどんどん変わっていくのがわかった。
そんな私は毎日とても強い気持ちだ。運さえも引き寄せている感覚があった。
だとしたらこの感覚が不惑なのだろうか。
40代はもっと絶望に溢れているのだと思っていた。
06
大好きな人たちに会う機会が多い時期があった。
人間関係が圧倒的に”深く狭く”である私にとって未来永劫大切にしたい人たち。
変わりたい気持ちは強いけれど、好きな人たちに会うと、自分の変わるべきところと変わらないでいいところがわかる。
まだまだ生きていけるかもしれないと思えた。
07
40 歳になっても人間の本質がそう簡単に変わることはないだろう。
でも私の生きづらさはあまり変わらないようで変わっている。
自分が普通ではないことをうまく隠したり、開き直ったり、諦めたり、ときどき強い気持ちになったり。
死にたいような気持ちを軽くして、どうにか生きていくための自分を守る術を使えるようになった。
それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。
08
まだまだ生きることへの戸惑いは拭えないだろう。
それでも私は少しずつ変わったり強くなったりしながら、いつか息絶える日まで生きづらいこの私と生きていくしかないんだ。
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